すべての起こりは父の健康診断で、「肺に異常がみられる」との診断でした。
地域の大きな病院で精密検査をすると「肺がん」と「間質性肺炎」の2つの病気の疑いがあるとのことでした。
恐怖の代名詞でもある「がん」、その発覚が我が家に大きなショックをもたらしました。
しかし、「肺がん」と同時に発覚した「間質性肺炎」も恐ろしい病気でありました。
病状(肺がん・間質性肺炎)
肺がんは少なくとも「ステージ3以上」、間質性肺炎は4年以上り患していると思われるとのことでした。
まず、肺がんについての話です。
がんのステージは全部で4ステージあり、数字が大きいほど病状が進行していることを示します。
肺がんのステージが少なくとも「ステージ3以上」とは、がんの進行が非常に進んでいることを指しています。それも4に近い3とのことでした。
次に、耳なじみのない病気である間質性肺炎ですが、名前の通り肺炎の一種です。
肺は普通スポンジのようにしぼむと元に戻る弾性の性質を持っていて、酸素、二酸化炭素の交換を行っているのですが、間質性肺炎になると、肺がスポンジからゴムのように変化し、息を吸って吐いても元に戻りにくくなってしまいます。これが正常な呼吸の妨げになってしまいます。
この二つの病状がそれぞれに作用して、手が付けられない状況になってしまっていました。
がんの治療については、抗がん剤だけでなく、切除や放射線なんかも、治療方法の選択肢になるのですが、間質性肺炎が妨げになって他の治療法が選べませんでした。例えば放射線を当ててしまうと、そこから命の危険につながるという状況でした。
間質性肺炎は発生から4~5年経過しており、非常に大きく育っており、治療は不可能となっていました。それだけでなく、ただ風邪をひいてしまっただけでも、死に至る可能性があるとのことでした。パワプロであれば、肺に爆弾があるような状況です。
そして、まさにコロナ禍の真っ最中。日常生活で気を付けることはもちろんで、普段から父はマスクをして空気清浄機をつけたところで生活していました。
私は実家を出て、車で5分程度のアパートに嫁と当時2歳になる娘と住んでいるので、毎週孫娘をつれて父のもとに遊びに行っていました。ですが、娘が保育園からよく病気をもらってくるので、遊びに行くにも気を付けることが多くありました。
また、入院して治療も行いましたが、入院中に病院内でクラスターが発生し、入院していても安心できない状況でした。
私の後悔
肺がんと間質性肺炎の2つの病気はかなり進行している中で発覚しました。
この2つの病気にどこかで気づくことができなかったか?
まったく心当たりがないかというと決してそんなことはありませんでした。
父は空咳のような、コホッコホッという咳をよくしていました。
何度か咳をしているのを聞いていたので、「病院に行ってみてもらいなよ」と言いましたが、全く病院には行きませんでした。
タバコも好きで、1個分の値段で2個買えたショートホープという度数の強い銘柄を好んで、30年以上吸っていました。
ただ、父もいい年なので、自分の体のことはわかっているだろうとあまり強く勧めませんでした。
また後で母に聞くと、過去の会社の健康診断でも何度も要精検の結果が出ているとのことでした。
なぜ、どうして、こんなになるまで放っておいてしまったのか、あの時に病院に連れて行ってあげればと、今でも後悔しています。
治療について
病状の説明と今後の治療法について、医師から本人を含めた家族に下記のことについて提案をもらいました。
- がん治療と間質性肺炎の治療どちらか一方しか行うことができない。
- 間質性肺炎はいつ悪化するがわからないが、発症から4~5年経過しており、急激に悪化することはあまり考えにくい。
- がん治療は、抗がん剤を用いた薬物治療しか選択できない
- 地元の総合病院が、同じ県内にあるがんに特化した大型病院か
すごく現実的な提案で考え方はとてもわかりやすかったのですが、本人・家族としては、
がんと間質性肺炎両方に聞くような治療方法はないのか?
完治する方法はないのか?
と、思わずにいれませんでした。
また、抗がん剤についても治療するものではなく、がんの進行を抑えるものでした。
もう病状も進行しきっており、今にして思うともう延命措置しかできなかったのだろうと振り返ることができます。
父もさすがにショックを受けていましたが、家族に負担をかけないよう地元の総合病院での抗がん剤治療を受けることを決断しました。
こうして、父のがんの治療がスタートすることになりました。